この空の下で 14ワインに誘われて研究所内でプロジェクトが終わると飲み会が行われるのが常だった。 今夜は、ある中規模都市の再開発に伴う周辺地域に及ぼす経済効果の予測をおこなったプロジェクトが終わったのでその慰労の会がある。 幹事は一樹で、場所は日比谷にあるワインレストラン。 所長がワイン通とか。 このお店はそんな所長のご推薦だという。 ビルの地下にあり、ワイン倉のような雰囲気がある。 明かりは壁に掛けられたランプ風の電気と天井から下がっているロッジ風シャンデリアだけで、ほんのりうす暗い。 天井には黒光りした太い梁が通っている。 奥の大きめな8人掛けテーブル2つが予約されていた。 仕事が終わった人から数人ずつ一緒にお店に向かった。 ばらばらっと適当に2つのテーブルに分かれて座る。 幹事の一樹がそれとなく年齢がばらつくように席を勧めていた。 と、気がついたら彩子の前の席に一樹が座っていた。 彩子は一ヶ月ほど前に新しく嘱託で入ってきた安田亮子と隣同士で座っていた。 一樹の隣には一樹と同じ年の佐藤真紀が座っていた。 真紀は、すでに結婚している。 残業がほとんどないこの職場は仕事に生き甲斐を求めなければ、女性にとって働きやすいと言えるかもしれなかった。 結婚しても仕事を続けて、定年まで働きあげ、家を建てる女性もいるほどだった。 真紀はさばさばした性格で一樹とは同じ年だったが、一樹と真紀が話しているのを聞いているとまるで姉と弟のようだった。 彩子はボルドーとかボジョレーヌーボーとかシャブリとかそのくらいの言葉しかワインに関して知っていることはなかった。 大学生の時、ワインを飲んで首のあたりにじんましんが出てから余りワインを飲まなくなった。特に赤ワインは。 でも、ここに来てワインを飲まないわけにはいかない。 所長はドイツに駐在していたのでドイツワインについて造詣が深いようだった。 彩子は同じテーブルではなかったので所長の話は聞けなかったが。 彩子の前にも所長推薦のドイツワインが運ばれてきた。 赤だ。 まず所長がプロジェクトが無事に終わりご苦労様でしたと乾杯の挨拶をした。 そして、会が始まった。 ワインの他にもチーズの盛り合わせや生ハムや魚介のサラダなどがテーブルの上に並んだ。 彩子はグラスを取り、赤ワインを口に運んだ。 ほわっとした感じで、渋みもなければ、つんとした感じもない。 二口目を口に運んだ。 「何だか飲みやすいね。」隣に座っている亮子が彩子に話し掛けてきた。 「私、赤ワインって少し苦手なのよね。でも、これは大丈夫そう。」と言って、彩子はまたワインを口に含んだ。 会が始まって30分ほどして翔が上司の川上と一緒に遅れて来た。 彩子のテーブルではなくもう一つの方のテーブルに着いた。 彩子の席から斜めに視線を送るとその先に背中を向けて座ていた。 『お仕事、ご苦労様。』 心の中でつぶやく。 翔が入ってきた時、一瞬、目が合った。 彩子はかすかに微笑んだ。 翔が彩子の表情に気がついたのか気がつかなかったのか分からなかった。 彩子は、翔が今度いつテニスに誘ってくれるのか楽しみだった。 そんなことを考えていると前の席に座っていた一樹が彩子のグラスにワインを注いできた。 「あっ、ありがとうございます。」 「森川さん、飲んでる?」 「え?えぇ。」 「ねぇ、僕と一緒にイギリス行かない?」 「はぁ?」 「行こうよ?」 「え?」 彩子は、一樹の突然の言葉に驚いた。 「田中さん、急にどうしたの?森川さんが驚いているじゃないの。」 一樹の隣に座っている真紀が笑いながら言った。 「佐藤さんも何とか言ってよ。」 「何とかって何よ。」 「だって・・・。ねぇ、行こうよ。」 彩子は、黙っているしかなかった。 家に帰ってからも彩子は気持ちが動転していた。 一樹がどうして急にあんなことを言い出したのか。 翔と自分はどうなるのか。 翔と初めて二人きりで話をしたテニスの帰り道、大空に向けて飛び立とうとする飛行機が滑走路を走り出したような気持ちだったのに。 『私の気持ちは、翔さんのもの。私は、彼が好き。彼の優しさが好き。私を包んでくれる安心感が好き。永遠の愛・・・・』 彩子は、週末を複雑な気持ちで過ごした。 『月曜日の朝、どのような顔で一樹に会えばいいのだろう。』 『どうやって、今までのように仕事をしていけばいいのだろう。』 勿論答えは、NO。 これからの翔と一つずつ思い出を重ねていきたいと思っているのに、一樹と一緒に留学先のイギリスに行く訳がない。 第一、翔を紹介すると行ったのは一樹ではないか。 食事に行くまで、ほとんど話をしたことなどなかったのに、急に何を言い出すのか。 『お酒の席での冗談に違いない。そうに決まっている。気にするのはよそう。』 ジャンル別一覧
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